他人の「ときめき」も片づけには必要

最近引っ越しをした友人が、新しい自宅にわたしを招いてくれました。

引っ越しを機に「片づけ」をはじめたとのこと。

わたしは、こんまり先生の「人生がときめく片づけの魔法」を愛してやまない人間です。自分で読むだけに飽き足らず、まわりの友人たちにも勧めてずい分貸し出しました。

初版以来、何百万部も売れたそうですから、その良さについては、くどくど申し上げませんが、わたしは、このはるか年下の若い女性に、物との「向き合い方」を初めて教えてもらった気がします。

「物を大事にする」というのは、決して「しまいこむ」ことではなくて、物を「愛して、有意義に使ってあげる」のだということ。

この、ときめき本に出会わなかったら、いまだにわたしは片づけの迷路にはまり込んだまま、混沌の世界をさまよっていたことでしょう。(って、大袈裟みたいですけど、ほんとです。)

それはさておき。

わたしの友人も、ご多分に漏れず、このときめき本2冊をたずさえ、付箋まであちこちにつけて、目下片づけ中とのこと。

が、しかし、このときめき本をもってしても、まだ、洋服が片付かない。だいぶ処分したけど、どうにもこうにも迷う服がある、というので、お節介にも、それらの洋服たちを見させてもらいました。

あーなるほど~。

今は着てないけど仕立てが良いスーツとか、ブランド物のバッグとか、思い出のつまったワンピースとか。確かに自分でも彼女の身になってみれば処分を迷うものばかりです。

でも!!

わたしには、はっきりわかったことがあります。

他人のわたしの目には、それらを身に着けた彼女が果たして素敵に見えるかどうかが一目瞭然であったということ。

これはOK、でもそっちはアウト、もう瞬殺でわかります。

これは、わたしが判断力があるとかそういうわけではなく、「他人の目」は、普通にそれ位冷静で客観的なものだということでしょう。(これはわたしにも新鮮な驚きでした。)

洋服は自分で気に入って着るのがまず一番だけど、人の目に触れるものである以上、他の人が見て、素敵にみえるかどうかは、やっぱり大事なことですよね。

だとしたら、もう、迷うものは、実際に着てみて、他の誰かに判断してもらう。それが一番の近道かしら、と思いました。

そして、これはどうなの?と判断されたからと言って、別に無理やり処分する必要はないのです。それを見る度、幸せな気持ちになれるのなら、洋服としてではなくても、思い出の大事な「物」としての役割を、果たしている、ということですよね?堂々と取っておいて、飾っておいたらいいと思います。(こんまり先生なら、きっとそう言うはずです!)

って、他人事になると、なんだか冴えてるような風情の(?)わたしですが。
しかし、気がついてみれば、わたしもまだまだ迷ってるものが実はあるのでした。ははは。
これからは、人の意見(特に、日頃ファッションセンスないとけなしているところの夫の意見)に、謙虚に耳を傾けようと思ったことでした...

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